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2013-08-13 Tue

福島県の人は福島県のものは食べていない [生活]

県外産のものを陳列できる大きなスーパーマーケットは大人気とのこと。
スーパーのチラシを見ると、たしかに県外産であることがしっかり書いてある。
外部被爆してる以上、これ以上の内部被爆は避ける、という気持ちは良くわかる。

福島県は住んでると、なにも特徴もない面白みがないところだと思うんだけど、
東京に来てみると、水と野菜が本当においしい良いところだ、ということが良くわかる。
そういうおいしいものを自分達では食べられないのはかなりせつない。

一方、首都圏では、福島県産を食べようキャンペーンがさかんに行なわれてる。
なんか複雑な心境になる。

香具山神社の鳥居が再建されていた [生活]

実家から歩いて数分のところにある神社。
西田敏行がかつて住んでたことで有名な神社なんだけど、
地震で鳥居がなくなってたんだよね。

鳥居がなくなってるのがわかるブログ↓
http://ameblo.jp/idjericho/entry-11001795511.html

帰省ついでにお参りしてきたけど、ちゃんと鳥居が再建されてました。
なんか安心した。

ここは名前が不思議な神社なんだよね。
なんで奈良の山の名前が付いてるんだろ??
采女に関係してるのかしら。

Wikipedia - 郡山うねめまつり
Wikipedia - 采女祭

戊辰戦争の恨み - 二本松と三春 [歴史]

帰省したときに聞いた話。
私の父は高校の教師をしていた。
最初の赴任地は二本松市の安達高校で、次の赴任先は三春町の田村高校。
その送別会のときに「三春に行くなら餞別は渡せない」と複数人から言われたらしい。

父は、1936年生まれなので、安達高校から田村高校への転勤はおそらく、1960年頃か。
会津戦争は、1868年なので、90年経っているのに、そういう状況だったらしい。

二本松が三春を恨んでいる理由は Wikipedia を見るよろし。

Wikipedia - 二本松の戦い

距離に近く、民族も同じなのに、やられた方はずっと恨みを忘れないのだなあ。


そう考えると、日韓併合から、たかだか100年ほど、
第二次世界大戦終戦から、たかだか68年、
やられた方が恨み続けるのは仕方ないことなのかもしれない。


恨みをやわらげるには、対話しかないんだろうな、とは思う。
会津が長州を強く恨んでいるのは、死体捨て置きが最大の理由だろうけど、
長州側の立場に立てば、自軍が暴徒化しないために、やむなく考えた方策だったふしもある。
戦争直後にちゃんと理由の説明ができれば良かったんだろうけど、
会津と長州では方言が違いすぎて会話になったかどうか。


関連)
韓国からの日本への「国際的いやがらせ」にどう対処するべきか? --> [2012-07-14-3]

会津戦争全史
偽りの明治維新—会津戊辰戦争の真実

鬼生田という集落は落ち武者の里だったのかもしれない [生活]

先日、見える人から、お盆は実家に帰ったほうが良いよ、と
言われたので(-->[2013-07-16-1])、実家に帰ってお墓参りをしてきた。

父方の祖父の実家が郡山の鬼生田(おにうだ)というところにあり、
そこのお墓にも久しぶりに線香を上げに行った。
うっそうと木が茂った山のかなりの急斜面を登っていくと、
ちょっと開けた休憩所があり、そこを越えると少し開けて、
ひっそりと古い墓地が群生している。
山を登っていくときに、一瞬なんか変な感じがしたのよね。
悪い感覚じゃないんだけど、一族も者かどうか警戒してる、
というかそんな感じ。
なんか妙なのよね。

その墓の裏側には廣度寺という立派な寺がある。

廣度寺
http://www.koudoji.jp/

平将門の末裔平氏田村一族の開基で大同年間(806年〜810年)に開かれました。


平将門って負けた人だよなあ。。。
ただ変なのよね、平将門が死んだのは940年で、寺が開かれた年よりだいぶ後。

Wikipedia - 平将門

その時代の田村氏というと坂上田村麻呂(758年〜811年)の名前が浮かぶ。

Wikipedia - 坂上田村麻呂

福島県の中通りには「田村」の地名が良く出てくる。
この寺も関係してるって考えるのが自然よね。

このお寺のリンクを辿っていくと、

鬼生田の昔ばなし
http://www.koudoji.jp/10mukasi_banasi.htm

桓武天皇(かんむてんのう)の時代のこと(西暦761年〜804年)
...


ずいぶん具体的だな。

お腹の大きくなった女の人が
...
そのまま田んぼで赤ん坊を産みおとしてしまったんだと。
...
なんと、驚いたことに、その赤ん坊は鬼の子だったっけど。
...
それから、このあたりのことを「鬼が生まれた田んぼ」ということで
鬼生田という名前がついたんだべない。


大多鬼丸は、大滝根という所に住み、手下を大勢ひきつれて南奥州の大将になったんだと。
...
その話を聞いた桓武天皇(かんむてんのう)は、時の将軍である
坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)に大多鬼丸征伐を命じた。


鬼はいわゆる貴種であり、坂上田村麻呂の敵だったってことかしらねえ。
その鎮魂のために作られたのがこの寺なんだろうな。
廣度寺の別のページには、まさにそのようなことが書いてある。

鬼生明神
http://www.koudoji.jp/9abukuma.htm

でもなんでわざわざ平将門の名前が出てくるんだろ??

集落の作りを良く見るとなんか変な作り方をしてるんだよね。
寺も墓地もそのまま砦として使えそうに道が作られてる。
人が住んでいる集落も小山の中腹に作られていて、
家の近所は湧き水が出ており水には困らず、畑で食料も豊富。
ここも砦として使えそう。
実際に戦国時代に館を構えていた史跡もあるっぽい。

ひょっとして鬼生田という土地は、落ち武者の里として機能してたのかしら。
であれば、わざわざ平将門の名前を持ってきたのもわからないでもない。
歴史的に、政争に負けた側を収容し続けてきた土地なのかもしれない。
阿武隈川の横にあって交通の要所になってもおかしくないのに、
妙に行きにくい場所に集落があるのは、わざと道路を不便に
作って集落を守っていたのかもしれない。

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最終更新時間: 2020-11-05 13:55